第100号『異風を楽しむ』

先日京都在住の友禅着もの作家犬飼千賀子さんの展示会を拝見しました。
今年は3回目で天気にも恵まれ、以前にはない賑わいをみせており、「石の上にも3年」とはよく言ったもので、やはり継続は力なりといまさらながらの感を抱いた次第です。

彼女の作品は、着ものを洋服感覚で気軽に楽しんで頂きたいという考えでデザインされているとかで、この辺りには不案内な私にはよく分かりませんが、感覚的には伝統的な和装小物よりビトンなどのグッズと合わせると面白いかなといった作風。
伝統の和装とは違った新鮮さのためか、マスコミの目も彼女に注がれ始めているようです。

いま、巷は和のブームで、それも彼女にとって追い風にもなっている気がします。
個展は銀座という和装の老舗のあるど真ん中で行われたわけですが、そうした銀座でも閉店していく老舗もあり、かつてと違って風はすべてに平等に吹くわけではないことを証明していました。

こうした陽と陰はどうして生まれるのでしょうか?
やはりよく言うように老舗とは言え、革新の志がないと未来は拓けないという理でしょう。
もう一つは変化への視座の硬直化ではないでしょうか?

着ものは実用性ということでは既に問題があり、その解決にはいろいろな工夫がなされ今日に至っていますが、正直「伝統産業」という位置に収まり、そこからの脱却については、いまだしの感があります。
従って犬飼さんの仕事についても、老舗はもとより専門を称する人々からは疑問も投げかけられてもいるそうです。

今年の夏、若い女性の浴衣姿が非常に目につきました。
その姿たるや、正統な着ものを知る人にとってはお笑いであるかもしれませんが、こうした着ものの常識を離れてみると、それはそれで美しく、若い人の色気を引き出す物として惹かれる印象でした。
とりわけ花火大会や納涼大会などではひときわ鮮やかで、それを着る人も、つきそう彼氏も極めて満足そうでした。

こうした現実を未だ「あれは着ものではない」「単価が低く商売にならない」と切り捨てる業界の頑迷さがあるやにも聞いています。
恐らくこうした意見を唱える人は、和の復活イコール過去の再生という誤解があるのではないでしょうか?
また「ホンモノ」としての奢りもあるのかもしれません。

それ故か、この浴衣ブームを創ったのは、伝統的な和装業界ではなく、むしろアパレル側であるようです。
そしてこのことは確実に和装を超えてファッションの革新にもつながっています。

提案されている浴衣は、着ものでもなく洋服でもないカテゴリーを突破した夏の「新たな装い」です。

また、この革新で注目したいのは若い人々の感覚の変化です。
この変化は、とくに従来のハレについて、その楽しみ方、関わり方に表されており、その底流にはどうも和魂洋才ならぬ、「洋魂和才」があるようです。
そしてこのことが和を異風とするトレンドを生み出しているようなのです。

周りを見回してみても、お正月、お盆、お祭りなど伝統催事の有り様も、かつての日本のそれらとは大違い。
お正月で言えば、お屠蘇を頂き、おせち料理を嗜む風景など、とっくに無くなっています。
昨年、大手デパートに屠蘇散を求めに行き、店員に説明するのに苦労したことを思い出します。

お正月は、いま家族コミュニケーションの機会です。
年々、ホテルでの家族新年会が、盛んになっています。
そこで出会う伝統的なおせち料理は、味よりもノスタルジックな話題性を提供する「異風としての和」風レシピ。実際の人気はローストビーフやケーキさらにはお屠蘇よりワイン。

お盆や夏祭りについても同様で、ご町内のお祭りの枠からはみ出したイベントとなり、信心や氏神様よりは和という異風を楽しむ若い男女の、出会いの場や関係みせびらかしの場、舞台装置になってきました。
これはある意味では昔帰りかもしれません。

犬飼さんの作品も、言ってみればまさに「洋魂和才」から生まれた作品。
お花見、月見、紅葉狩り、お茶会など伝統的な和の舞台に、新しい異風の和の楽しみをもたらす装いであるような気がします。

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