現代史に登場して10年目を迎える国・・ウズベキスタン。
今回からしばらくはちょっと趣向を変えて、10月の20日から27日まで1週間ウズベキスタンの首都タシケントと世界文化遺産で知られるブハラ市で行われた「Tashikenntale08」というビエンナーレに参加し、B級マーケターとして感じたこと、思ったこと様々をご披露する話にしたいと思います。
おそらくこの駄文をお読みいただいて下さっている皆さまの多くは、ウズベキスタンって?タシケント?ブハラ?と思われることでしょう。
それも無理からぬ事で、事実、かつてはソ連邦の一部に組み込まれていたこの国は一部の人を除き、日本人にとっては無縁の関心の外にあった地域だからです。
関心のあった一部の人とは、大戦後・・・、太平洋戦争のことです・・・、ソ連の捕虜となりこのウズベキスタンに抑留され辛酸をなめた方、およびご家族の関係者がほとんどだと思います。その中生存し無事帰国なさった方ももう八十歳を超えて居られるでしょう。そして不幸にして現地で亡くなられた方々は当地の日本人墓地に眠っておられます。
したがって日本とこの国との繋がりは、そこに時折ご遺族の方が墓参に訪れる、そんな限られた関係が今日まであったといっても過言ではないと思います。
かく言う私自身、この国に関心を持ったのは、05年愛知県で開催された EXPO「愛・地球博」で、この国を含む4ヶ国の「中央アジア」共同館というパビリオンの展示・演出の総合プランナーとして参加する機会をいただいた時からで、それ以前はまったくの無知・無関心であったのです。
そんな私がこの地域に関心を抱くに至ったのは、EXPOに関わり同地域に出向き街を歩き、人と出会うことを通じて多少この地の文化・人情に触れたからです。
そしてその結果を総括すれば日本とはかなり「異質の文化と価値観で彩られた国」であること。同時にこの地固有の文化・価値観が21世紀に生きる私たちに大きな示唆を与える気がしたからです。
これは5年前の感想でもありますが、この点においては今回の訪問においても変わりません。
この国が、世界的に大きなプレゼンスを持ってきたのは、2001年9:11以降。アメリカが提唱する「テロへの戦い」に象徴される「アフガニスタン」での戦争の戦略拠点の一部として重要性を持った以来だと思います。またその折り話題となった「文明の衝突 」という歴史解釈もその傾向に拍車を掛けたと思います。
それからおよそ10年、この国のあり方も、またそれを取り巻く流れも変わりつつあります。
それがプラスなのか、マイナスなのか?は判りませんが、しかし、確実に「変化」は肌で感じられました。
まずは、そんなところから話を進めさせていただくつもりです。