国会では労働者派遣法改正案の審議が進められています。
改正案では、派遣労働者の保護と制度の抜本的な見直しが掲げられているようです。
この法律が制定されたのは1989年ですが、以来派遣労働の規制緩和が続いてきました。
もともと仕事がある時だけ派遣会社と雇用契約を結ぶ「登録型」は、不安定なものでしたが、一方、働きたい時だけ、働くことが出来る「派遣」は、女性にとっては大人気で、「お茶汲み」「コピー取り」と女性の能力を余り評価しないことに苦労していた時代にあってはなおさらでした。私はこうした派遣の揺籃期、この新しい仕事を日本に紹介し、人材派遣の草分けとなった外資系の会社の業務をお手伝いしていました。したがってこの会社で働けると言うことは、女性にとっては憧れであり、かなり「かっこいい」ことだったと記憶しています。
派遣ではなく「事務処理サービス」という考え
いまでこそ派遣は、市民権を得たビジネスとなりましたが、派遣業法成立以前には「口入れ屋」のそれに相当し「怪しげな商売」とされていました。「派遣」は、人とくに女性を斡旋するわけですから、行政サイドでは、怪しい人材派遣ビジネス容認についてはけっこう慎重のようでした。
私の関わった外資の事業定義は、専門能力による「事務業務の処理」に領域を限定しており、例えば通訳、速記、タイピスト、秘書など能力が客観的に能力評価できる業務に絞り「人の派遣ではなく事務処理能力サービス」としておりました。が、この「事務処理」と言うことは欧米で活動していた商社などを除くと日本企業ではなかなか理解を得られず苦労したことを覚えています。
広告掲載についても一般紙では扱って貰えず、苦労の末、掲出してくれたのは、日経系の雑誌のみでした。
「夢のような働き方の果にあるもの」
しかし、時代は人手不足、それに女性の社会進出とが重なり自分の都合に合わせて職場を選び「わがまま」に働くことが、ステイタス化。派遣業法の成立を機に、資本と労働側の利害が一致、かくして派遣は一挙に市民権を得て働く側優位なワーキングスタイルとして確立したのです。また能力主義、成果主義が若い労働者中心に台頭し終身雇用制度の撤廃の口火を切りました。個人主義を踏まえての働き方と併せて労働組合など不勉強、熱意不足もあり、働く人を守るネットワークや組織は分断、いまや完全に崩壊の道を辿ったと言えます。
飴と鞭を使い分けることの出来る資本にとっては、思うがままに扱える労働者の狩り場が出現してしまったのです。
まさに新ワーキングスタイルがイメージした「夢のような働き方」は大きな錯覚、事実は地獄へ誘う罠だったのです。
そんな思い出に耽りつつ、「派遣切り」のいまを見るにつれ、危惧していた闇が現実となった思いを深く抱きます。
新技術への期待と夢
いま時代は労働の新世紀を迎えつつあると識者は声高に叫んでいます。そしてITなどの新技術の普及は、働く人に多くの機会を提供し、またワーキングスタイルも間違いなく大きく変わるでしょう。
ダニエルベルは、「情報化社会は職業電話帳を厚くした」とどこかで述べています。
しかし、厚くなる電話帳が雇用拡大につながるか?働く人の暮らしの豊かさに結びつくのとは別ではないでしょうか?
派遣のキーワードは、即戦力です。
技術の進化は無限かもしれませんが、生身である私たちの能力は、限りなく進化変化する技術に常に変わらず即応できるのでしょうか?
多様な技術の登場は夢を誘うに事欠きません。しかし、ご用心。
新技術の普及は旧技術とのトレードオフの関係にあり、それにまつわる人材や能力の陳腐化でもあります。
そして資本の前に個人はいかに無力か?いまの現実が証明しています。
そもそも、労使の力関係が逆転し、資本と生産手段を持つ労働者の登場などありえるのだろうか?
人材派遣法の改正には、生産手段と分配、労働と自由などの「資本と労働の新しい関係」が模索される必要があるのではないでしょうか?
ワーキングプア対策も焦眉の急ですが、労働(=能力)市場の流動化は時代の潮流。それを前提とした人材・技術・資源の3つを見据えたデザインが必要ではないか、その欠如は、明日を大きく損なうモノと危惧します。