▼インターネットは補完メディア?
インターネットがメディアとして期待されてけっこうな時間が経過していますが、そのわりには、残念ながら広告メディアとしてのはかばかしい成果はあまり聞かれません。
もちろんインターネット広告出稿は急伸していますが、これとて確たる成果にもとづいているのではないようです。
インターネットに関してはまだまだ効果が判明しておらず、補完的な役割を脱していないと思います。
広告メディアとして急伸している理由は、・他のメディアに比べてコストかからない、・クリック率などで多少効果が測定できてTVの視聴率よりは顧客情報らしく科学的、・インターネットはIT時代の流れ、他社がみなやっているなどなど、漠然とした時代性、先進的なイメージが支配しているからではないでしょうか。
▼ギミックではメッセージは届かない
多少業界を眺めていた立場から見ると、率直な話、スマートフォン、iPadなど新規技術を目玉に、メルマガ、ブログ、SNS,ツイッター、フェイスブック、グーグル、クラウドなどランダムに上げても盛りだくさんいろいろなサービスが開発されています。
これらを使いこなして大儲けをしている会社もあるかもしれませんが、そのほとんどはこうしたサービス開発を行った元。つまりは博打で言えば胴元のような気がします。
これらの胴元に関わる会社や組織では、難解な業界用語を発信し、それらを使えば汗をかかなくても顧客が集まってくれるかのような幻想をばらまいています。
フラッシュ、フローティングADなど技術的なギミックでインパクト効果を提言し、注目率やクリック率を向上させ、より高機能なコミュニケーションで効果を期待させていますが、しかし、これって旧メディア時代の商売の常套手段、量的な発想と同じではないでしょうか?
言い古されたコトバですが「馬を水飲み場に導いてくることはできますが、水を飲ませることは至難」です。
インターネット時代でもこの課題は未解決のままです。その理由はなんでしょうか?
▼クリエイティブが、ずばり弱すぎる
元々広告コミュケーションにおいてクリエイティブの役割は曖昧でしたが、こうした曖昧性はインターネット広告時代にも引き継がれ、予算の引き締めと相乗して、期待される役割や創造力はさらに低下、悲惨そのものです。
それは「ドッグイヤー」と言われた技術進化のテンポによりクリエイティブのコモディティ化が進行。一方、素人とプロを区別する壁が低くなり、クリエイティブの持つ力を軽んじる環境が生まれたことです。
PCの性能やブロードバンド化によってユーザビリティは飛躍的に進化し、また、プレゼンテーション技術の進歩はクリエイティブの可能性を本来は広げるものでしょう。
しかし、現実は逆、クリエイター自身、この可能性を広げる機会に挑戦することに消極的です。さらには技術が偏重され技術者にクリエイターがひっぱらる現象も見られます。
また価格競争はこうした事態をいっそう推し進め深刻化を増しています。
この数年間、制作会社はプレゼン、プレゼンの連続と運良くプレゼンを捕っても値段叩きで疲弊しています。正直、「やってらんねよ」ですね。まさに「悪貨は良貨を駆逐する喩え」そのままです。
▼よいクリエイティブとはメッセージそのもの
当たり前に過ぎることですが、よいクリエイティブとは、顧客の心に届くメッセージを創出する以外何物でもありません。また競合者とのはっきり異なる差別性にも優れているのも条件です。
こうした有効なメッセージづくりには、的確なマーケティングとクリエイティブとの連携は当然です。
かつて広告会社に在籍していた折り、広告会社は「顧客にどう役立つのか」を考えていました。ものづくりについて、また商売についてクライアントはプロ、私たちは素人で、経験、知識との両面で雲泥の差があり、まったく太刀打ちできません。
だからクライアントにすべて情報や思考を委ねていいのか?と言うとそれはそうとも割り切れません。またクライアントの考えをデザイナーに橋渡しする連絡員であってはこれまた不満足です。
▼ソト者であることの自覚を持ちたい・・・!
思うに製品は組織内部の存在(=ウチ)ですが、一方商品は社会化された製品(=ソト)です。このことを考えると私たちが外部=ソトに居なくてはならないことが、判ります。
かつてお世話になったクライアントでは、一つの手順としてこうした「ウチ」「ソト」の関係を調整する明確な手法をもっていました。おそらく今も変らないことでしょう。
しかし、その企業においてすら昨今ではこうした手順の必須とする「謙虚」を知らず知らずに損なっても来ているようです。これはあくまでも岡目八目的なものですが・・・。
いまは時代の節目であることは間違いありません。しかしこの変化をチャンスにするには、「ウチ」「ソト」の健全な関係を再構築することにより「クリエイティブ力」を強化する以外、道はないと思います。
ましてや私たちはソト者として自負を持ち、お仕事頂戴を乗り越えねばなりません。
そのためには、まず「技術」至上主義を捨てソト者としての「専門性」を磨くことです。
▼歩く、見ること、聴くこと
そして自身の目と足でクライアントの利益の源泉である顧客に向かうことでしょう。
クライアントへの迎合やご機嫌伺いも大切で、それも商売ですから、無視できませんが、やるべきこと、時間を割くべきは、クライアントのよろこぶ情報や耳障りのよい知見ではなく、クライアントにとって有益な実質的な活動にもっと時間を割くべきではないでしょうか?
世界的な流通企業のCEOは、時間の許す限り「店内」を歩き、来店者にアドバイスを求めているそうです。格別新しいことではありませんが・・・。
広告ビジネスもビッグになり、数字的な管理思考が強くなりました。しかし、もはや数字管理だけでは時代は開いては行かない・・・組織は挙げて人間的な側面での対処方法を必要としています。PCでは人間と触れあったことにはなりません。
ソトに居て生活者の必要を見極めクライアントと論議する・・・嫌われて煩がられる役割を私たちは負わねばならないかもしれません。
「火中の栗を拾う」「猫に鈴を付ける」など諺が胸中に行き来します。