今年の新年、訳あって恒例の家族の集まりを、近くのホテルのテーブルで開催しました。皆の都合を聞き、予算の都合もあって、恐る恐るテーブルの空き状況を確認したのですが、思いの外の盛況で希望の日は席が取れず、結果としては、次善の日時の予約を取り決めた次第です。
懐を心配するのは、我が家だけか?と思いつつ赴いたわけですが、宴終わって我が家の経済相は、意外にご機嫌。日頃、何かとけちをつける彼女が、来年もこれにしようと言う始末。正月のお節づくりの煩わしさ、経済性、雰囲気、参加者の満足を考えると、このホテルの企画の方が、ずうと「トク」だと言う。
まさにサービス、メニュー、プライシングなどホテル企画マンに勝負在りです。
バブルが弾け(もはや古語ですが・・)とは言え、思いがけない贅沢を一時、経験した私たちは、贅沢の甘い香りをまだ、まだ忘れたわけではありません。
また、「痛み」を押しつけられても、ほどほどの中流意識は残っており、一億、皆、下層階級になったわけではありません。
大袈裟に言えば、このホテルの企画は、うまくその点を突いたのでしょう。
確かに気分は「贅沢は敵だ」です。
しかし、「より素敵に生活したい」気持ちは、きびしい現実があるだけに必要です。
話は飛びますが、アジアの飢えに苦しむ市場でも、人々の収入から見たら高価で贅沢なモノが飛ぶように売れてもいます。
まさに人は「パンのみに生きるにあらず」なのだと思います。
このホテル企画の成功について、私的に考えれば、①手の届く価格であること、②ホテルブランドが上手く利用されたこと、③ファミレスはいやだけれど高級レストランはムリという顧客層、またはお正月を・無理なく・楽しみたい顧客層にセグメントしたことだと思います。
また忘れてならないのは、高額客だけがホテルの客だという発想を捨てたホスピタリティでしょう。
会場での客が、私たちの意識や価値観、消費行動に置いて違和感のない「フツー」の人々で構成されていたことからもそれが伺えました。
まさに需要は創っていくもの、また客を見くびらないこと。
贅沢市場の再定義が必要だと思います。