第35回 ココロネツ

061117

熱病です。
私は「ココロネツ」慢性患者です。
昔から、というわけではなくて、知らないうちに持病になってしまった。

感染力が強いです。
同じ価値観をもつ人間同士の「ココロ熱」。

今までゆっくりと話したことが殆どないのに、人が出会い関わっていく中で、同じ「ココロ熱」をもったもの同士は意気投合するのが早いし、信頼関係もすぐに築くことができる。

当たり前だけど、でも不思議です。

そして、その繋がりがどんどん増殖していく過程はまさしく伝染病です。
それは当然趣味や嗜好、人生の価値観やライフスタイルもおそらく異なっているはず。
なのになぜか「ウマが合う」という感覚ですね。

じゃあ、その「熱」とはどんな「熱」なのでしょうか。

私が思うに、それは「希望」であったり「夢」であったり「学び」であったり「野心」だったり「欲望」だったり。
状況や人の個性によって大きさや色は違えど、それらのことに対する「誠実な前向きさ」であろうかと思います。

私がここ1年くらいの間に出会った人は、そのような意味で非常に前向きで、勉強にも刺激にもなる方ばかりの気がします。

その「ココロネツ」を共有するのが楽しくて、今まではただそれを感じ取ることで満足していましたが、最近はそれだけでは飽き足らず、その熱をどんどん繋いでもっともっと大きな「発熱体」ができたら、と考えます。

今毎日のように子供たちが自らの命を絶っています。
親による虐待で子供が死ぬ事件も普通に起こる。
完璧に病んでるこの国。

子供の自殺。
親による虐待。
生存競争。
事なかれ主義。
歪んだ個人主義。
弱肉強食の原理。
勝ち組負け組み。
孤独。
絶望。
言い方はいろいろ考えつくけれど、結局は「ココロネツ」をもって繋がる場所がみんな探せてないのじゃないだろうか。

私だってすぐに「ココロネツ」になったなんて思ってない。
むしろここまでかかってようやく熱を自分からも出し、人のそれをも取り込めるようになった。
でも死んじゃう人と私とどう違ったか、といえばあきらめなかったことぐらい。
本当にそれしか思いつかない。
何も見えなくても取りあえずほんのちょっとでも「種火」はあった。
時に「自分がダメだ」と思うのは誰だって一緒。
これは普通言わないし、認めない人もいるけれど、こういうこと思わないヤツなんて信用できない。

個々が一つ一つの「発熱体」になってつながり、それが増殖していくことでポジティブな何かが生まれるのであればそれはすごい可能性を秘めている。
もともとあきらめないかぎり「ココロネツ」があるのだから。
そしてそれがどんな形であれ、誰かをもしかしたら救ったり、前向きに症状を活発化する病原体(!)になれるかもしれない。

私はいろんな人とそういう「ココロネツ」を併せて、どんどん大きな炎にしてみたいです。

あーまた同じようなことをいってしまった。
でも飽きないですね、「ココロネツ」シェアは。
やはり私はかなりの「ココロネツ」重症患者です(笑)。

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