第27回 コスモポリタン

060915

「コスモポリタン」。
意味、ワカリマスカ?

ワタシの中では辞書を引いた記憶が無く、「国際人」のように捉えていました。

で、ネットの和英辞典を念の為ひいてみると訳がない。
「コスモポリタン」なんですよ。
ちょっと驚いた。
もうすでに日本語として「帰化」している言葉だったのですね。
スゴイ。

じゃあそれこそどういう意味なんだ?? 

今度は国語辞典で引いたところ、
1 国籍・民族などにとらわれず、世界的視野と行動力とをもつ人。 世界人。国際人。また、そのようなさま。「—な感覚」
2 定住しないで、世界を放浪する人。
3 コスモポリタニズムを信じる人。世界主義者。

らしい。
ま、何となく分かるような分からないような。

先日、2年ぶりくらいに英語を使う仕事がありました。
まったくの突然で、しかも相手はネイティブ。
彼らと東京で早朝、朝食会なるものにいきなり参加をしたのです。

以前は英語を話すヨーロッパの方々と仕事をしていたのですが、やはり予想していた通り、久しぶりに聞く英語の早さに「母国語」としてそれを使う人とそうでない人の差を感じました。
「・・・・聞き取れない。」

ワタシの英語は受験で必死に単語を覚えたわけでもなく、留学したわけでもなく、自分なりのやり方でやっとのことで習得したいわば「人間としての信頼関係構築まで」のレベル。
要は「あ、こいつはそんなにワルイ奴じゃないな、少なくとも敵意はないな、遊びにいくなら楽しいかも、でもビジネスでのハードネゴはちょっと・・」という程度のものです(汗)。

いきなり自分のキャリアを話さねばならないようなビジネスシーンでは、当然かなり苦戦。
ただ、ワタシには「自身を伝える」という点においては、お互い第2外国語同士のヨーロピアンとのやりとりで培ってきた自信のようなものがほんのちょっぴりだけあったのです。

単語は他にもっとぴったりの言葉があるのだろうけど、それじゃなくても顔の表情とか、またはイントネーション、そして今も昔もダイジなコミュニケーションツールである「ゼスチャー」(笑)。
そして話題(食べ物の話や文化の話、音楽の話かなあ~)
彼らとどこでも誰とでもあるような話をしていて感じたのが、英語を話せる人というのは、ネイティブであれそうでない人であれ、伝えようという熱意に対して暖かく受け入れてくれる度量、懐の深さがあるな、ということです。

日本人は多くが

「言葉は完璧じゃないといけない」
「文法はどうだろう」
「発音カッコワルイ??」
「言い方としては自然なんだろうか、ヘンじゃないかな」
という「完璧英語」症候群だと思います。

しかし今回、ネイティブの彼らは私の英語に関してレベルが違う、前置詞が違う、などと一切いわず、しっかりと目を見て聞いてくれ、言いたいことをワタシが分からなければ違う言い回しで言ってくれる。
結果的に伝わるからまたコミュニケーションができる。
結果双方がハッピー。

ワタシが英語に関していつまでも憧れのようなものを抱くのは、実は英語そのものよりも、それを話す人たちの、多くの人々を受け入れる度量や懐の深さにあるのじゃないかな。
そして国籍に関係なく、そんな人たちを「コスモポリタン」というのだと。
意味というより、直感的なイメージの勝手な定義付けですけどね。

ま、ともかく今回久しぶりに海外の方とコミュニケーションし、そんな度量の大きな「コスモポリタン」になりたいなあー、とまた一つなりたいものが増えてしまったのでした。欲張りにもこまったものです。

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