第43回 The man of pride.

070126

彼のことを書くのはある意味度胸のいることだ。

何しろ、彼は未だに「現役」であるからだ。

私の父はたたき上げからの経営者であったけれど、その前に、というかそのまま「編集者」だ。
夢を追いながら、追い続けて結果、彼がほれ込んだ色々な方々との仕事で、小さな出版社を自社ビルで建て直すベストセラーを何冊も出版し、3人の息子を育て、家を立て、そして引退していまもなお、地域の新聞つくりなどに70をすぎた今でも書類と資料の「まみれた」部屋で深夜までパソコンの前に座って書いている。

慣れないソフトのことなどで彼のパソコンを調べたりすると、おそらくパソコンの使い方ももっと効率的なやり方があるだろうに、苦労して時間をかけているのだろうと思われる。

そんな中でも彼を突き動かす原動力とは何か。
それは編集者としての自負、プライドである。
まさに意識は「現役」のままなのだ。

私がこの仕事を不思議な縁でつかんだのも、何か必然的な流れだったのだろうか。

しかし、彼の書く文章と私の文章は全く異なるものであり、また考え方なども自分として踏襲している、とは言いがたい。

そして私は正直、このような仕事、書くという表現をする仕事に対して以前はそれほど興味がなく、実感してなかった。

またこの仕事をしながら改めて感じたのは、表現に携わるものとしての父を反面教師として自分を形成していた部分もあると思うからだ。

父は、そんな中でも私のブログに関しても皆さんのくれるコメントに関して、そのようなコミュニケーションが起きている現代の事実に感激する。

また「そのお前の持つ空気感が俺にはないものだ。」とよくいう。

戦中派の彼の少年時代は今とは比べようがないのは全くの事実で、その中でも職業を選んで好きな仕事で結果を出し、そして今なお使命感に近い姿で慣れないパソコンで書き続けている彼に対して、まだまだ自分の空気感が何か、を語るにはあまりにもおこがましいかもしれない。

しかし、この仕事で感じた感覚的な物事を父と話すことで、私のそれまでの生き方にはないような感覚で学ぶことが多々あり、それを共感できるとき、単純にうれしく思う。
「現役」である彼の中では、形は変われども意識の部分でさび付いていないのだ。

父上

お年はさすがに少々とっておられますが(笑)まだまだ現役のその心構え、息子として感服致す。

今までどおり、わが道を歩まれよ。
と切に願う所存であり申す。

但し、母上との「イジケ」ンカもほどほどに。
そしてあの書斎とはいいがたい資料室をお片づけなされるのが得策と存じ上げる。

何よりも資料室に関しては、可愛い孫たちの声をしかと受け止め、さらなるダンディー&スイーツな翁を目指されることを、お願い申し上げる。

では。

おっと、このまま終わるのでは父上の手前さすがに失礼かと存じ、再度申し上げ奉る。

息子たちは父に尊敬は変わらぬもの。
そこにはただ口ベタで不器用な男同士の世界があるのみ。
礼はあからさまに言わぬが、誰一人として感謝していないわけはないので御座候。

小事心配なさらず、体に気を付け、思い切りわが道を歩まれよ。

拙者も遠く及ばずながらその背中を半ばに見、それを越えるつもりでわが道を行くつもりで候。

拙者の人生絵巻もここ数年にて更に加速し、面白くなる上は、ぜひともご覧頂きたく御座候。

(オワリ)

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