私がまだ何もしらないウブな少年のころ、初めてちゃんとコミュニケーションを取った外国人は、兄の留学先であるニュージーランドから日本に遊びに来てくれたご夫婦でした。
ニュージーランド人でキウイ農場主のポールさんと、NY生まれのスペイン人の奥様でサルサの先生であるローザマリアさん。
滞在先である東京のホテルに迎えにいき、ほっぺたを合わせるラテンの挨拶にガチガチになっていたのが昨日のことのように懐かしいです。
彼らを案内し、当時の東京で流行っていた大きなディスコ(笑)などを回ったり、横浜の自宅に来て当時存命だった祖母や父、家族と本当に楽しい時間を過ごしました。
ポールさんはまさに「キウイ(ニュージーランド人の愛称)」らしく、大きくて人のよさそうな朴訥な感じ。
対してローザマリアさんは、小柄なれどさすがスペインの女性。
パツンパツンのボディに「ザ・ラテン」という原色バリッバリの華やかなドレスを着こなし、東京の町を闊歩。
まるで真紅のバラが歩いているような、そんなエネルギーのあふれる人でした。
言葉もろくに話せない身ながら、とにかく五感を駆使して、異文化コミュニケーションを学ぶという素晴らしい体験でしたが、滞在中にディスコの喧騒のなか、ローザマリアからもらったアドバイスを私は今でも大切にしています。
それは「男たるものジェントルマンであれ」というものです。
「フミキ、覚えておきなさい。世界中の国を私は旅してきたけれど、世界中どの国でも、女性はジェントルマンが好きなの。だから男性はジェントルマンでなければいけないのよ」こんな言い方だったと思います。
当時まだ子供だった私は純粋に、しかしもちろん女性にモテたい一心で「そうか、女性にモテるにはジェントルマンであるべきなんだ」と心に刻み、そして今までもそうあろうと心がけてきました。
そしてこれまで「キザっぽい」と揶揄されたりする程度で、その教えが間違いだったと感じたことは一度もありません。
そんな私の目に連日飛び込んでくる醜態の数々。
麻生財務相は「取材ネタをもらうんだったら胸を触られても仕方ないだろう」とか「セクハラが嫌なら男性記者に変えろ」などと発言。
財務省の福田次官も例に漏れず、書くのもイヤな言葉を女性に平気で浴びせたとの報道。しかも証拠が出てきてもしらばっくれるという、私のジェントルマンの定義を逸脱しまくる発言が、政府の中枢から開き直りのように溢れています。
これらの発言を聞き、残念ながら日本の政府の偉い人には、これまでローザマリアのように世界で共通する教えを誰も教えてあげなかったんだな、と分かってしまいました。
日本人であることを誇りに思い、愛している身として、とても悲しく、とても恥ずかしいです。
戦後世界に例を見ない経済発展を遂げ、先進国の仲間入りを成し遂げたこの国ですが、最も大事な精神の部分を置き去りにして肥大化してしまったようです。
少しでも多くの日本人がこの異常さに対してなにを思い、どうあるべきかに向き合ってほしいと思います。
ローザマリアにはその時以来会っていませんが、彼女が今の日本を知っているとしたら、私はなんて言えばいいだろう。
そんなことを思い出した朝です。