第450回 軌跡

早いもので、父の四十九日があっという間に過ぎました。
このブログを読んでいただいている方々から、父のことであたたかい言葉をいただきました。
特にご自身の詩を詠んで葉書で送ってくれた社長さんには、感謝をしっかり伝える言葉がまだ見つかりません。

感謝に浸りながらも、眼の前には父の部屋を整理するという課題が。
アナログ時代の編集者であった彼の部屋は、まさに「紙に埋もれる」という表現がピッタリ。

掃除が苦手だった彼の大きな本棚に捨てずに残された書籍や原稿のゲラを片付けるのに、兄と別々に足かけ3日にわたり奮闘しました。

よくまあここまで溜め込んだなと思う量の本と原稿をそれぞれ分別し、ダンボールに移したりヒモでしばったり。
一切合切をゴミにするか、古本屋さんに出してしまえば楽なんですが、ほとんどが校正のようなメモが満載で、かつ教育や憲法、合唱から自治会、はたまた孫への爺バカ満載のラブレターまで、彼が生前やっていたありとあらゆる活動の軌跡を確認するのにとても時間がかかるのです。

しかしその作業を始めて1時間して、なぜかとても疲れている自分に気が付きました。
生前認知症が始まったころ、古い原稿を捨てることを進言すると、癇癪のように怒って手をつけさせなかったほど大事にしていた彼の軌跡を処分することに怒っていたのかもしれません。

夕方までかかってひとまず本棚を空けるまでを終えました。
仕事とはいえ、これ全部読んだのかな、私がこれからの人生を費やしても全部は読めないだろうなと思う本の束を見つめながら、これらは生前仕事で飛び回り、あまり長い時間語り合ったことがない彼が残した軌跡でもあるんだな、と感じました。

こうしてようやく整理した本をチェックするのは部屋を片付けてから。
四十九日は過ぎましたが、彼の軌跡と向き合う時間はしばらく続きそうです。