あっという間に月日はすぎ、3月になってしまいました。
さて、僕は10年前の2006年4月に大学に入学しました。2006年がどのような年だったか。今の若い人には実感できないだろうけれども、日本におけるウェブ動画元年といった年だった気がします。2005年12月に正式にサービスを開始したYoutubeは、2006年に入ると、瞬く間に世界のウェブカルチャーの中心となります。
僕も極個人的な経験として、大学受験が終わったあたりから、毎日のようにYoutubeを観て、動画なのにそのレスポンスの早さにいちいち驚いていた気がします。(一応ダイアルアップを知っている最後の世代ですので…)
懐かしいですね、まず世界を席巻したのはやはり音楽。パッヘルベルの「カノン」のギターアレンジを世界中の投稿者が投稿し、その技術を見せつけあっていました。この頃はまだ世界の一体感があり、世界中の人々の動画を見られるというグローバル感に酔いしれる段階でした。2006年の年末からニコニコ動画が試験運用開始。これ以降、日本のウェブ動画は既存のウェブカルチャーと同様、急速にローカライズされていくことになります。
僕の大学時代は、本当にウェブ動画とともにありました。宅飲みをすると、必ず机の上に置いてYoutubeやニコニコ動画で、MVやおもしろい動画、アニメなどを観ながら飲むのです。この飲み方が始まった最初の世代なんじゃないでしょうか?モニターの中ではジミ・ヘンドリクスもマイケル・ジャクソンも、加山雄三もNUMBER GIRLも、国籍も時代も全てフラット、あの小さな画面で等しく並べて視聴されました。
さて、なぜこの思い出話をしたのかというと、現在僕は自分の担当ページでウェブカルチャーの特集を作っています。今はまだいえませんが、この特集ページで、ある著名なライターさんとお仕事をし、何となく感じていたことが確信に変わりました。
端的にいうと、ウェブにおけるテキストの復権です。
先も、実体験を絡めて述べたように、2006年以降、ウェブは動画の時代でした。今ではInstagramにVine、MixChannelのような、10秒に満たない動画をコミュニケーションツールにして、女子高生たちがウェブをサーフィン(死語)しています。しかし、反対に、長くきちんとした文章を発信したいという欲望も高まっていることは間違いなさそうです。最近の女子高生の間で、ファッションアイコンとされる女の子たちは、意外としっかりと長文で自分の思いの丈を込めたブログを更新します。「インスタじゃ雰囲気だけ、本当の自分は伝わらない」なんて声も聞こえてきます。
長く、きちんと書くことが、発信者のアイデンティティの確立につながる。そんな時代の変化の匂いを、先端に立たされている少女たちは嗅ぎとっているのではないでしょうか。おじさん達の「今の子は短くて早いサービスしか使わないから」という、会議室の扉を閉めて行われるマーケティング会議の議題は、もう過ぎ去ったことについて真剣に話し合っている可能性があります。考えてもみてください。中学校も高校も、たった3年でひと世代まるごと入れ替わるんですから。
冒頭で述べたようにウェブの動画元年が2006年だとすると、10年が過ぎた今、また新たなディケイドに突入したかもしれません。Twitter創業者が始めた新サービスMediumは、アメリカで新たなウェブサービスとしての地位を確立しようとしています。テキストに徹底的に特化したメディアが、再評価される時代。この流れの根底には、自動翻訳の進歩によって、言語的な壁が取り払われる未来が、近く確実にやって来るという技術革新の芽吹きが関わってきそうです。
「ウェブはこういうものだから」という固定概念は、意外と自分が先進的なものへの理解があると思っている年配ほど捕らわれる罠なのかもしれません。常にフラットな視点に立ち戻り、オルタナティブを探す目を研ぐことは、仕事をする上でとても大事なことなのではないでしょうか。
というわけで、Mediumを始めてみました。https://medium.com/@MahirOrihaM