社長対談 第2回・オライリージャパン株式会社 編集長 伊藤 篤氏

オライリージャパン株式会社 編集長 伊藤 篤氏 × ファンサイト(有) 代表取締役 川村 隆一


社長対談 第2回・オライリージャパン株式会社 編集長 伊藤 篤氏

川村:
今日は、オライリージャパンの編集長、伊藤氏にお出でいただきました。オライリージャパン株式会社は、昨年流行語にもなった「Web2.0」の提唱者、ティム・オライリーの日本法人です。伊藤氏とは、もう10年近い付き合いで、またファンサイト理論を構築してきた同志でもあります。
さて、今日の口火ですが、Web2.0の話題以来、現状を見ていると、Webをとりまく環境がちょっと迷い道に入ってる気がするんです。「Webってどっちの方向にいくんだっけ?」という議論がない。「Webで儲けなきゃいけない」という議論はあるけども、「Webってなんだっけ?」という議論がまったく聞こえてこない。これはどういうことなのかな?
伊藤:
それはWeb2.0的に言うとWeb自体が壮大な実験のようなものですから、どこかで完結するということはないんですよね。
川村:
ただ、そのことで企業がイラついているように感じる。なんとかならんのかと。もう少しわかりやすく、自分たちが定義しやすいものにならんのかと。
伊藤:
そのイラつきというのは担当者レベルではすごくあるでしょうね。
川村:
かつて、Web1.0のときは、とりあえず企業の体裁として、Webサイトを設置すればよかった。使いたい人か、どうしても使わなければならない人が使えばいい、といった状況でしたよね。 当時は例えば、必然性があるもとのとしては、就職・リクルート関連のコンテンツが中心だった。でもそのうちに、技術的にBlog、RSSやアフィリエイトみたいなものなど、いろいろなものが出て来てきて、単にWebサイトがあればいいというレベルから、ビジネスにしなければという段階に変化してきた。
しかし、現状それが次の事業を支えるものになっているかというと、ビジネスになってないところがほとんだと思う。で、次に、どうすればいいんだ!という感じです。
伊藤:
そういう現状の中で、「ファンサイトは次になにするのかな?」というのは興味がありますね。 例えば、掲示板の代わりにBlogを入れてみようということはあると思うんですけど、「コンテンツ」の定義が変わってきているとしたら土台自体も変質しているわけだし、それにどう対応するのかが見てみたい。手順としては、何が変わってて、何が変わってないのかを考えてみることが必要かもしれないですね。
川村:
Webの成長のマトリックスを考えたとき、技術の推移とコミュニケーション手法の推移を縦軸と横軸に設定して、いまどこにいるのかと考えたら、そのどちら方向でも、技術的にはほとんどなんでもできるところまで来ちゃったと思うんだよね。
伊藤:
コミュニケーションの手段はたくさん出来てきたけど、その使い方や利用シーンによって分類できるかも。 携帯を使ってコミュニケーションする人は多いでけど、あのインターフェイスの中でできることってすごい制約がありますよね。あの中でコンテンツを成立させていくには相応な努力が必要でしょう。携帯とWebでは基本的にビジネスモデルが違うのだと思いますね。 例えば、寝る前に有料でマンガを見ているユーザーがけっこういるみたいですし、それはいつも身につけていて手軽だから携帯で、ということかもしれないけど、一方で、携帯のコンテンツは有料でも見られているけど、Webのユーザーは無料のコンテンツを好んで見るという傾向がある。Webは無料っていう意識は根強くあるのかもね。携帯だと決済が簡単だからということもあるのかもしれないけど。
川村:
現状ではWebでビジネスが成立するためには人を集めるしかない。
伊藤:
Webにはテーマが無いとなんにもおもしろくないと思います。雑誌というものにもテーマはあるんだけど、雑誌の楽しみってテーマだけじゃない。テーマ以外にもいっぱいいろんな情報がつまってるから、1度読むだけじゃ終わらない。
でも、雑誌のような展開をWebでやろうとしたらうるさいだけかも。Webでは好きなものだけを見たいから、そこが違うんだと思いますよね。
Webを見るときは、ものを考えたくないと思ってるような気がするんです。でも、テレビとも違うのは、受け身じゃないところ。自分で一応、見るものを選んでいく。
そうすると、これからのWebコンテンツに必要なのは「気持ちよく、ものを考えさせる」ということなのかもしれない。例えば、クリックしたときに「あなたのクリックしてるところは結構良い感じですよ」って思わせてきくれたら気分よく閲覧できる、みたいな。
川村:
それ、すごくおもしろいなあ。
伊藤:
でも、そんな感じでしょ自分でWebを見てる時って。クリックした先がおもしろいな、自分の興味となんとなくつながったな、とか。行った先にもやっぱりおもしろいこと書いてあるじゃん、とか。おもしろいから、友達にちょっとメールして知らせてみよう、とか——こんなのの繰り返しじゃないでしょうか。
気持ちよく考えさせてほしい、そんな気分でいたい、というのがユーザーにはあるんじゃないでしょうか。
例えば、ツアーガイドみたいな人が旗降って「こっちですよ〜」とかいうのじゃなくて、行った先に誰か気の利いたいい奴がいて「なかなかいいチョイスですねぇ」と言ってくれたり、とかね。可能かどうかわからないけど、ブラウザのどこか別窓にコンシェルジュがいて、自分に何かコメントしてくれる。「センス良いねー」とか、「そりゃイケてねー」とかね。
コンテンツって「くすぐり的」な要素があるような気がしてて、だからすごいのを作ったからみんながそこに吸い寄せられる、そんなイメージはコンテンツには相応しくないんじゃないかな。みんなを吸い寄せる、ブラックホールみたいなコンテンツなんて。でも、結構そういうのを、企業のWeb担当者なんかは夢見がちなのかもしれませんけど。
川村:
それって例えていうなら、最近の音楽シーンに似ているかもしれないね。最近、ほとんどビッグヒットって生まれていない。誰もが口ずさむ曲なんてもうない。それは悲しいことではないと僕は思っているんだ、つまり豊かになった証左だと思うんだ。昭和時代のようにみんなが石原裕次郎を唄ったり、美空ひばりに涙する時代じゃないと思うんだよね。
Webはすごく細分化されたニーズに応えるものであればいいと思うんだよね。それは、例えばマスから収益をあげていたこれまでの方法とはまったく異なっているような気がするね。
伊藤:
Blogって、全部の記事がホームランを打つようなことってあり得ないでしょ。いろいろ書いてる中で、ある記事はおもしろいとかっていうことで注目される。その1つの記事の価値を浮かび上がらせる、1つの記事に価値を持たせる、その仕組みというのはWebにあるのかもしれないですね。
川村:
いま何人かの影響力のある人達、つまりインフルエンサーが僕らのまわりにいる。そうした人たちは確実に自分の志向性と意見を持っていて、これまでのような、作られたオピニオンやトレンドセッターとかいうのではなく、本気でそう思ってる人たちなんだよね。
伊藤:
Webってそういう人がストレートに出てこられる。真面目にそう思っているからこう書きます、ということができちゃう。それは雑誌や週刊誌ではありえないことだよね。例えば出版社がOK出さなきゃ、週刊誌に記事は載せられない。そこは決定的に違う。
インフルエンサーの発言って講演を聞いてる状況に似ている気がする。雑誌の読者だと、つまったり訳のわからないことが書いてあると、この記事なんですか、ってクレームしたりする。でも、講演会場にいてその人が喋ってるのを聴いていたら、つまったときも「大丈夫かな」「がんばれ」という気持ちになる。思いやりの目線で。それって、ちょっとBlogは似てる気がする。もちろん、ユーザーの善意と悪意は再定義する必要がありますけどね。
川村:
Web2.0ということが言われ出した時点で確実に、転換期に来ている気がする。
伊藤:
一応、アメリカでWeb2.0で言われてることはあるんですけど、日本ではちょっと違う気がするんですよね。日本ではWebより携帯関連にビジネス的な関心が集まってるようです。ユーザーも携帯のコンテンツを見てる人はものすごい見てる。
僕は「コンテンツ=仕組み」だと思ってきたんだけど、でも携帯に関していうと「コンテンツ=コンテンツ」なんじゃないかと思っています。皮肉な見方をすると、携帯という限られた世界の中では旧式のコンテンツビジネスがまだまだ有効だと。マンガ売ったりとか映像売ったりとか。
オープンソースみたいなオープンな流れが出てきた時に、携帯の世界も変わると思うんですけどね。
川村:
それってつまり、 閉じられてるということだね。
伊藤:
そうなんですよ、キャリアの牙城なんですよ。だから、お金をつぎこめばつぎ込むほど儲かるんですよね。でも、これは旧来のビジネスモデルですよね。
そこで、コンテンツの再定義をする必要があるのかな、と。Webの中でコンテンツって一体なにか?新聞に1面とか3面とかがあって、雑誌には特集とか連載とかがある。でも、Webではどうなる?どう考える?例えば、Blogパーツみたいなものもをコンテンツと呼んでみたりとか。
川村:
でも、それって本当にコンテンツといえるのか。
伊藤:
だからここでWebのコンテンツを再定義することは意味があると思うんですよね。じゃあなにを使ったら再定義できるかなと。それが問題。
「コンテンツ」という言葉でひと括りにするしかないのが現状ですよね。特集、連載、コラムなどなど、そういうコンテンツについてのコンセンサスが雑誌ではあるけど、Webではそれらがまだないと考えてみることから始めてみたいんですよね。乱暴な言い方ですけど、アクセスが多いものが特集です、っていう割り切り方もありますよね。
川村:
雑誌と比べて見るのはむずかしいよね。
伊藤:
パンチ力みたいなものは雑誌の方がある。至れり尽くせりの内容でね。でも、それはWebでは受け入れられないんですよね。
例えば、Webのユーザーは、雑誌記事で言う「切り口」のおもしろさに反応しているのかもしれませんね。Webのユーザーは肝のところだけ欲しがっているとか、もっと簡単に欲しがっているとか。Webで人気になるものって、必ずしも深みが必要だとは言えない。
川村:
いずれにしても、Webでのリテラシーが成熟していない状況が続く限り、こうした議論をもっともっと高めていく必要があるということですね。今日はどうもありがとうございました。

社長対談 第2回・オライリージャパン株式会社 編集長 伊藤 篤氏